ミミ言

思っていることをつぶやいていきます

復活してみたけど・・・

復活してみたけど・・・
なかなか時間がないんだなぁ。
今までやらなくていい家のことまで、やらなきゃいけないから、お母さんがいなくなってから、
本当に大変。
 
今、一番欲しいもの。
それは、一人になる時間。
 
うちの父親は、まったく何もしない人。
やりたいことはやるけど、やりたくないことは絶対にしない。
 
この人がいなかったら、ご飯だってちゃんと作らなくてもいいのに、と思うことも多々。
日中、仕事をして、帰ってきてから家のことやって、寝るのは、大体2時とか2時半くらい。
で、また翌日は仕事でしょ。
 
そんな日々が、お母さんがいなくなってから、ずーっと続いてんの。
どれだけストレスが溜まることか。
 
一旦、実家を離れた人は、例え親がキライでもたまに会うから、能天気なこと言うけど、
子供の頃からあまり好きじゃない人の面倒を突然見なきゃならないんだよ。
弟だっているのに、何で?でしょ。
 
お母さんは大好きだったからさ、もし、お母さんが介護が必要になったら、会社も辞める
つもりでいた。でも、父親の場合は違う。
 
今、何とか生活できているのも、人間の脳ってすごいよね。
忘れる、ということができなかったら、完全にノイローゼになってると思う。
 
アタシ、いまだにお母さんとの思い出は、静止画像でしか出てこない。
夢も見ない。
どっかに行った、と思い出そうとしても、動いている映像で思い出せないんだよね。
そして、単発的。
本当は、このブログでも、多分、アタシみたいな境遇になって、役に立つようなことを
書けたらいい、と思って、再開しようとしたんだけど、まぁ、亡くなった後は、思い出すに
しても涙が出てきて、頭ん中もグチャグチャで無理だった。
でも、今は、涙は出ないけど、本当に遠い記憶みたいに、細かいことが思い出せない。
多分、自分で嫌なことを頭の中から消そう消そうという意識が働きストッパーをかけて
いるんだと思う。
そうでもしないと、フツーに生活できないから。
これを自然にならいいけど、無理矢理思い出そうとして、ずっと考えこんじゃうと、
今度は、お母さんに対する後悔の気持ちも入ってきて、自分を責めちゃうんだよね。
交通事故なんかで、突然、家族を失ってしまった人と同じ心境じゃないのかな、と思う。
 
でも、そんなアタシのことをわかっているお母さんの仕業なのか、葬儀に始まり、不思議な
ことが多かった。何か、お母さんに動かされるみたいな。
葬儀の時も、うちは父親だけこっちに出てきていて、特に家に仏壇とか小さい頃からあった
わけでもなく、お母さんが亡くなる前に、父親が自分の兄に、宗派について相談すると、
もう戻ってくるわけじゃないから、自分達の好きな宗派にしてもいい、と承諾を得たらしい。
で、葬儀の際に、葬儀屋に宗派を聞かれ、うちの宗派を告げると、特に決まったお寺がない
のであれば、こちらでその宗派の坊さんを紹介します、と言われ、坊主以外に、音を鳴らす人も
含め、法外な料金を提示された。
そんな、会ったこともないような坊さん達に、何で、そんな料金を払わなきゃいけないだ、とビッツリ。
宗派は違うけれども、子供の頃から、うちには神棚があって、神さんを祀ってた。
父親が自営だったから、多分祀ってたんだと思う。そこのお寺は祈祷もやってるところだったし、
先代住職には、かわいがってもらってて、お寺さんはすごく霊感がある人で、だから、八卦
みたいなこともやってたんだよね。でも先代住職が亡くなってから、神さんもかえして、ちょっと疎遠に
なってた。
しかし、事前に宗派を変えてもいい、と承諾を得てたし、小さい頃から知ってるお寺のほうがいい、って、
皆で決めて、宗派を変えることにした。でも、葬儀屋は、自分のとこで手配をしないことがわかると、
じゃあお寺さんの手配などはそちらでやってください、と言われた。
時間は午前3時。
宗派を変えると決めたのは、うちらだけど、どうしよう、明け方6時になるのを待ってとりあえず、お寺に
電話をし、相談。
今のお寺さんは、先代住職の息子だけど、親族から宗派をかえることを承諾を得てるなら、と受けて
くれた。
 
葬儀も終え、今度は49日だの初盆だの、と行事は目白押し。
でも、アタシだけ、ずっとお墓のことを気にしてた。
そこのお寺は、今の住職に代わってから、霊園も作り、お寺の横には寺院墓地があった。
お母さんは、募集が始まった頃、チラシを見て、「いいなぁ。」と呟いていたのを知っている。
アタシも、ちょっとは霊感があるほうだから、その墓地を見て、ここしか絶対にダメ、と思った。
葬儀のお礼や今後の事、49日の打ち合わせでお寺さんに会うたびに、お墓の話ばかりを
してた。「お墓なんて1年くらいの間に考えればいい、まずは、49日のことを考えなさい。」と
言われたけど、あまりしつこかったからなのか、墓石屋さんを紹介してくれることに。
で、お母さんが亡くなってから、半年も経ってないな、8月にお墓を作って入れた。
 
今、思うと、何であんなにお墓のことを気にして、急いだのか?と思うし、わからない。
お墓って、亡くなった人の新しい家でもあるらしい。
だから、お墓を建て、墓開きをした時、新築の家を建てた時みたいに、紅白のお餅を配った。
お母さんは、いつまでも仏壇にお骨を置いたままにされては、この子、おかしくなってしまう、と
思ったのかもしれない。
仏壇はあっても、本当は故人はいつもお墓にいるんだとか。
そして、仏壇の前でチーンと鐘を鳴らすと、お墓から呼ばれてる、って来るらしい。
 
まぁ、お寺も車で5分もかからないところだし、自転車なら10分くらいで行けるとこだから、
近いし、ね。
 
よく、お墓はいらない、っていう人もいるけど、その家その家のスタイルがあるから、何とも言えない。
勿論、お墓を建てれば、永代供養で、またしっかりとお金も取られたよ。
墓石だってさ、ピンからキリまでだし。
アタシは、子供の頃から、神さんに手をあわせていたから、そういうところは抵抗ないんだよね。
残された人の故人に対する気持ちだと思う。
この世から消えたけど、居場所がないのはかわいそうじゃん。
うちは、父親は生前、母親に対して、ちゃんと感謝の気持ちを伝えていなかったからなのか、
毎日墓に行って、墓守をしている。花は絶えたことはない。でも、それによって、お母さんが
亡くなってから、しばらく鬱っぽい状態だったけど、今は全然そんな気配すらないし。
お墓に行くと、気持ちが落ち着くらしい。
アタシは、毎日、仏壇を世話してるけど。
 
近所の人とかは、そこまでしなくても、って言う。
そして、自分達は亡くなっても、子供に負担がかかるから、墓は建てない、と言う人もいる。
それはそれでいいんじゃない。
うちはうちだし、お宅はお宅なんだから。
でも、子供の負担がかかるって、言うのは、ひっかかるけどね。
まぁ、そういう家は、墓があっても子供が来なくなるってことがわかってるのかもね。
 
さて、そろそろ買い物に行かないと・・・。