ミミ言

思っていることをつぶやいていきます

遅ればせながら、終戦記念日に思うこと。

8月15日は、終戦記念日でした。
ニノの『硫黄島からの手紙』観て、最後のほうはずっと涙が止まりませんでした。

時々、考えます。
今の日本で、もし、国から強制的に戦争に行けと言われたら…どれだけの人が承諾するんだろう、と。
確かに、戦後、日本は大きく変わりました。
戦争がもたらした結果は、よかったのか悪かったのかは、わかりません。
戦争に負けたから、今のように自由な日本が存在する。
でも、国のために戦って亡くなった人達、国が起こした戦争のために亡くなってしまった人達のことを思うと、複雑な気持ちです。
国のため…と、言葉に発しつつも、決して〝光栄〟などという気持ちで、戦地に出陣したり、送り出したりしたわけじゃないと思います。戦争という、合法的に認められた殺人のために、尊い命を投げ出して、亡くなっていた方々がいるからこそ、今、こうして生きていられるわけです。

沖縄、サイパンを訪れた時、思ったことは、悲しいほど海が美しかったことです。
特に、サイパンの海の青さは忘れられません。
この海に、飛び込み死んでいった人達がいるかと思うと、なぜ、この場所が〝suicide cliff〟などと呼ばれ、観光名所になり、戦争のせの字にも関心がない観光客が訪れて騒いでいるのかわかりません。ワタクシはそんな場所で、決して写真なんか撮れない。
沖縄もしかり。今でこそ、観光地となっているけれども、沖縄にも悲しい歴史があり、そんなことすら知らない人達が訪れている。

原爆は…中学か高校の時に、夏休みの宿題で、被爆した永井博士の物語だったかなぁ、その英文を訳した時から、関心を持ち、悲惨な状況だった広島や長崎の原爆に関する本も何冊もその頃から読みました。今も、後遺症で苦しんでおられる方々もいらっしゃって、絶対に後世まで語り継がれなければならない歴史だと思います。ただ…気になるのは、それほど放射能の怖さを体験している日本の至るところに、原発が存在することです。それは、便利な生活のためじゃないかと言われればそれまでですが、その矛盾が…ね。

たまたま、硫黄島からの手紙を観る前に、オーラの泉に、倉本 聡さんがゲストで出られていて、ワタクシは正直あんまり好きなタイプの人ではなかったんですが、丁度、倉本さんの舞台「歸國(きこく)」について取り上げられていました。終戦記念日に亡くなった英霊達が現れ、英霊達と現代の日本社会とを次々と対峙(たいじ)させてゆく、という内容だったそうです。その中で、変わり果てた現代の日本を見て、便利さと豊かさは違う、という英霊のセリフがありました。
この番組を見て、倉本さんに対する見方が断然変わったのですが、本当にそうだと思います。
そして、倉本さんがやられている活動の際に、60人くらいの親に「この中で、子供のために死ねる人」と問いかけたら、6人くらいしか手を上げる親がいなかったらしく、びっくりした、とおっしゃってました。それは、そんなことってあるのか、とワタクシもびっくりしました。
でも、この間、薬で捕まったような親がいたり、平気で親子で殺人をするような人達もいるのだから、当然のことか、と思いなおしましたが。
ワタクシは、今までに2回だけ、自分の命か、もし自分の人生で幸せになる権利があるのなら、それをすべて差し出すから、どうか助けて下さい、と神様にお願いしたことがあります。中学校の時、母親が倒れた時と、甥っ子が2歳の頃、ワタクシが目を離したすきに、部屋から出て、階段の一番上から下まで転げ落ちてしまった時。

生活は便利になったけど、でも心は豊かではないんでしょうね。戦前の日本人は、生活は貧しくとも、心は豊かだったはず。だから、今の日本人は、我慢する、相手を思いやる、ということができないんだと思います。戦前、戦時中のように、我慢ばかりしなければならなかった時代が正しいとは言いませんが、あまりにも我慢しなくなってしまうことが許される時代にも不安を感じます。
生活が便利になれば、それだけ時間もできるはずなのに、心が豊かになれないのは、やっぱりどこか間違っているのかも。教育とか…それは、学校教育だけではないと思うけど。

関係ない、関心がないではなく…1年に一度、終戦記念日の重さを受け止めることをしてもいいのでは、と思います。