ミミ言

思っていることをつぶやいていきます

妥当な判決

山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審判決、死刑が言い渡されましたね。
ワタクシは妥当だと思います。
もうすぐ導入される裁判員制度を見込んで、という思惑もあるのでは?という見方もあるようですが、決してそんなことはないと思います。
死刑判決に対して反対という声もあるようですが、罪を償う形が死をもって償うという形になっただけで、ワタクシは賛成でも反対でもない。愛する家族を、何の非もないのに突然奪われてしまったら、死刑を望むのは当然のことだろうし、もし加害者側の立場であっても、そんな凶悪な犯罪を犯してしまったのなら、被害者側と同じ気持ちにならなければ、と思います。
この事件の加害者側の親子関係は、幼少の頃に父親から暴力を受けており、母親も自殺、という家庭環境の中、精神状態が幼いままとまっている、との事。でも、この父親は、マスコミのインタビューで、自分も被害者だから…などと言ってました。
驚きです。そんな犯罪を犯すような息子に育てたのは自分だろう?被害者?いやいや、親のあなたも十分加害者なのでは?とワタクシは思いました。
確かに、今回のような事件でいえば、皆が被害者だと思いますよ。それぞれの立場に立って考えた場合、本当にそういう劣悪な環境で育ったのなら、加害者もある意味被害者だろうし、勿論殺されてしまった方は当然被害者ですが、子供が犯した罪のおかげで普通の生活が送れなくなってしまった加害者の親や家族も被害者でしょう。
でも、劣悪な環境で育ったからって、罪を犯していいわけではない。被害者、加害者の家族、加害者、皆の人生が狂ってしまってるわけです。生まれた時から犯罪者なんて人はいません。子供は親を選べないけど、親は子供に対して責任を持つべきだと思います。

もうひとつ。ワタクシが無期懲役という言葉を初めて知り、親からその意味を教えてもらった時、へぇー悪いことをすると、永遠に刑務所に入ってないといけないだぁって思ったことを覚えています。でも、実際には10年以上服役した囚人は、仮釈放の対象となるんですよね。その間、外部とは全く接触のない刑務所という場所で、規則正しい生活を強いられれば、反省する気持ちは芽生えてくるでしょうね。でも、じゃあ釈放となって、外に出てきた時、いつまでもその気持ちが持続できるのかってことです。遮断された中と外ではあまりにも環境が違いすぎる。だから、再犯率も高いんだと思います。よく更生という言葉を聞きますが、何をもって更生というのか、ワタクシにはわかりません。
一度、罪を犯した人間は許されないのか?
勿論、ワタクシ個人の意見としたら、それは許されないことだと思います。それは気持ちの上でです。罪を償っても、してしまったことは一生、背負い続けていかなければならないんだと思います。ただ、許されるに値するまでのことをできるのか、どのようにやっていくのかってことです。それができて、はじめて更生した、と言えるんじゃないでしょうか。

三者だから、こんな勝手なことを言えるのかもしれません。誰だって、ある日突然、被害者側になったり加害者側になったりしてしまう可能性はあります。実際に、そういう立場になった時に、初めてそれぞれの気持ちがわかるんでしょうね。