ミミ言

思っていることをつぶやいていきます

おめでとう、翔ちゃんと相葉くん

ウォーキングから戻ってきたら、テレビで二人の結婚報告の報道がやっていた。

へぇ~って感じ。

嵐熱がなくなってから、随分経過したからなのか、特に驚きはなかったな。

だって、もう二人ともいいお年頃だし。

こんなコロナで見動きできないご時世だし、ジャニーさん達も亡くなり、嵐の活動休止って時から、世代交代は始まっていたはず。

オリンピックさえ、正常に開催されていたらもっと早くこうなっていたんじゃないかな。智くんは、きっと自分以外のメンバーのことも考えての活動休止もあったんじゃないかと思ってしまう。

もっと下衆の勘繰りをしてしまえば、例のお騒がせな二人のせいで、宮内庁から大きな話題の提供をお願いされたんじゃねーの?

出国から帰国まで、パパラッチして、毎日毎日、こんな話どーでもええわ、と思っていた矢先のビッグニュース。そりゃ、あの帰国子女の男よりも話題性は大きいからなー。

今は、自宅療養中だから、テレビつけるとニュースでもワイドショー的な扱いでやってんだな。まぁ、ご本人達が選択した道だから興味もないけれど、立場を考えたら、そんなドラマみたいなこと、普通はできないでしょ。一般人じゃないんだし。確かに、時代とそぐわない決まり事の中で生きていかなければならないならば、皇室ってなくてもいいんじゃないの。イレギュラーを許す、イレギュラーが許される、なら、こんな前例を作ってしまった以上、今後は何でも許されてしまうはず。

だったら、税金を使わないでほしい。それか、制度の見直し。皇族の方々も、一般の人と同じ、少子高齢化のようだし、そんなに宮様っていらないでしょうよ。

どっちみち、健康管理もしっかりされていて、一般人には使われないようないい薬も使われているんだろうし。コロナで生活や人生がいきなり変わってしまって、苦しんでいる国民は山ほどいるのに、皇族の世界だけ時代錯誤って、何か変。

宮内庁とか皇宮護衛官とか、制度がなくなれば必要なくなるんじゃないの。

まぁ、ホント、こんなご時世にどうぇもええ話。あの二人だけの責任じゃない。皇族も含め、宮内庁とかすべての責任でしょ。

 

話がずれちゃったけど、翔ちゃんと相葉くん、おめでとう。

二人の結婚は、素直に祝福できる。

頑張りなはれや。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入院life7

脳梗塞の原因はわからないけど、多分、不摂生な生活と過度なストレスの蓄積が原因なんじゃないかと、自分では思う。

母親が亡くなってから、7年かな。家のこと仕事と全部、突然やらされるはめとなる。一番の原因は、大嫌いな父親の世話。昔から、父親っ子でもなく、母がいたから何とかやってこれたものの、そいつの世話をしなければならない、ということ。

仕事をしているから、昼ご飯も用意し、家のことを全部やらされる。母が全部やっていたので、お金すらATMでのおろし方を知らない。ご飯は作れない。おまけに好き嫌いはある。最悪だ。その状態をずっとストレスを矯めながら我慢して7年。こいつのせいで、生活スタイルは全く変わってしまった。なのに、こいつは上げ膳据え膳で、全く今までと生活スタイルは変わらない。本当に地獄だった。

そして今年。今まで以上に仕事でストレスを抱えることになる。信頼していた人の立て続けの異動。そして、入れ替わりで入ってくる奴が、嫌いで苦手な奴ばかり。1月から、仕事も超多忙になり、3月になり組織改編で自分も異動となった。これも本当に辛かった。私、薄っすらと覚えているのは、朝、目が覚めて起き上がれない状態となる前日、テレビでもよく出ていらっしゃる三木大運和尚の怪談説法が好きで、よくYou Tubuで視聴していたが、その前日は和尚さまの出演していた怪談番組の録画を見ていた。うちはもともと曹洞宗だったのだが、地方出身者の両親だし手を合わせる仏様の仏壇もなく、小さい頃から縁があって日蓮宗でお世話になっていた関係で、母の葬儀の際に、わけがわからないところよりは、馴染みがあるお寺で、とお願いをして、そこから親族の了解も得て、日蓮宗に変えたのである。たまたまだったが、だから三木大運和尚の怪談説法は、本当にボロボロになった私の救いだったのかもしれない。その事前に見ていたテレビ番組は、心霊番組だったのだが、それを見ながら寝てしまい、朝起きたら眩暈がグルグルだったのた。でも、もう一つ記憶にあるのは、テレビ見る前、多分、父親のことでイライラしてお風呂から出て、自分の部屋に戻った時に、口にタオルを噛ませて、アーーーッと叫んでいた。で、朝起きて、眩暈がひどかったので、まずメニエルを疑い、そして、テレビを見ると、心霊番組が流れてて、もしかして憑りつかれた?と思い、南無妙法蓮華経とつぶやいていた。このことは誰にも言っていないけど、それだけパニックの眩暈だったのである。

それ以外に、本当に腹が立ったのは、自分では何もできない、しようとしない父親に、

時間が経過すればするほど、吐き気とか頭痛とかひどくなり、真っすぐ歩けない、普通の風邪とは違うから、と言っているのに、寝ていればよくなるとか、月曜日に病院に乗せていってやるとか意味不明なことを言われ、今日のご飯はどうするだの、言われ、本当に、こいつ終わってるな、と思った。で、買い物も一人じゃいけないから、と車に乗せていくから、と後部座席でグッタリしている私を買い物まで連れていき、私は、カートに覆いかぶさるようにつかまり、買い物までさせられたのだ。私は、ずっと脳裏で、これは虐待だと思っていた。でも、本当に無理だと思い、家に帰ってから、最低限の荷物を持って、救急車を呼ぼうと決断。

そして、病院に行ったら、脳梗塞と診断され、即、入院となった。病院では、もう少し早く来てくれたら、と言われた。すべて、自分のことしか考えていない、あいつのせいである。

でも、入院が決まってから、私は、家のこと仕事のことからすっかり開放され、まるで寝不足だったのに、やっとグッスリと何の心配もなく眠れたみたいな感じで、何年ぶりだろう、自分の時間を取り戻せた、というか、実際の病気の治療と、ストレスを解く時間が始まったのである。

あの父親と一緒に生活しなくてもいい、ということは一番の薬だったんじゃないかと、思う。でも、この際、今まで言えなかった状況を、弟にも話した。弟は父親のことをすごく怒っていたが、言っておかないと、私、またいつ再発するかわからないから。

気を付けるに越したことはないけど、気を付けても再発する時はするし。

勿論、再発しないように、これからは無理しないように努力はするけど。

でも、こんなに苦労をしてきたのに、麻痺もなく無事だったのは、不幸中の幸いと受け止めるか、こんなに苦労してきたのに、まだ、楽になることを許されず、生かされている、ということは、修行が足りないのか、どっちなんだろうなぁ。

 

 

 

入院life6

脳梗塞になり、ずっと心配していたのは、運転免許のこと。運転免許センターに病気になったことを言わなければならない、と。私は、運転が好きなわけでもなく、車が好きなわけでもないが、運転できないと買い物行ったり、病院行ったりするのに困る。

近場をチョロチョロする程度だが、車がないのはなぁ…。リハビリしながらも

ずっとそのことが気になっていた。確かに、何かあっては遅いし、致し方ないことではあると思うが、わざわざ適正試験受けたりとかしなきゃいけないのか…とモヤモヤ。

退院が決まった頃、運転免許センターに自分で連絡をするように言われた。営業時間内では電話がつながりにくい、とのことで、15時過ぎに電話をしたんだが、一体何人で受電しているのか、全く通じない。音声ガイダンスのプッシュ番号を教えてもらい、ガイダンスを聞かずに、番号をプッシュするも、回線がこみあっているので、おかけ直しください、と。また、音声ガイダンスすら流れずに切れてしまうことも。テレビを見ながら、リダイヤルをしてチッチッと繰り返し作業をしていると、いきなりつながった。

本人確認されると思っていたので、免許証は用意していて正解。色々と状況を聞かれ、

とりあえず、先方マターの診断書の用紙を送るので、医師に記入をしてもらい、返信用封筒で送り返してくれ、と言われる。送られてきた診断書を先生に渡して記入を依頼。診断書は、運転免許証の更新等の際、道路交通法に規定する運転免許の取消し、停止等の対象となる一定の病気に該当するかを判断するために使用させていただく、と書いてあった。

病気に罹患した人で、発作により運動障害や視覚障害がある場合で、繰り返し生じている、又は再発する恐れがある対象者に診断書の提出をお願いしている、と。症状の状態によっては、運転免許の取消、停止となるらしい。特定取消という場合は、取消された日から起算して3年以内に免許取得が可能かどうかの判断を公安委員会に判断してもらい、可能となれば再取得が可能らしい。

私の場合は、先生が書いてくれた診断書のみで、運転可能と判断をくだされて、退院してから、引き続き運転してもいい、と言われた。

よかったぁ~と思ったのと、今まで以上に慎重にしないとな、と思った。

でも、面倒臭い。

 

 

 

 

 

 

 

 

入院life5

晴れて、退院ができて現在は自宅療養中。

入院中は、リハビリ以外やることがなかったので、スマホでブログ更新をしていたが、打つのが面倒くさい。だから、やることがなくてもコンスタントに更新をすることは

できなかった。

キーボードの練習も兼ねて、引き続き記録をしていくこととする。

新しくできた脳梗塞は、ずっと点滴をしていたおかげか、画像では小さくなっていることがわかった。

あとは、リハビリ。先生は、リハビリは受けたほうがいい、と言う。私の場合、幸い、麻痺なども見られず、リハビリが必要なのか?と思ったが先生は受けておいたほうがいい、とのこと。

眩暈がおさまってきたことろ、理学療法士の人と言語学聴覚士の人が来て、自分でどれだけ動くことができるのか、飲み込みの力とか、言葉がすぐに出てくるのか等、色々とみられた。簡単に言えば、運動と脳トレかな。体を動かすには、脳からの指令で動いている。病気をする前は、自動的に動きを判断してやっていたかと思うと、人間の体ってすごい、と思う。

例えば、まだ病室の廊下あたりしか出ることが許可されていなかった頃、点滴をぶら下げた棒を持ちながら、廊下を歩かされる。真っすぐ歩けるのかどうかをみられる。次に、歩きながら今度は窓の外とか周りにも目を配らせながら歩くように言われる。そうすると、バランスを少し崩す。歩くこと以外に、周りにも目を向けなればいけないからだ。次に、周りにも目を配らせながら、突き当りを右回りで戻る、左回りで戻る、をさせられる。どちらで回るとふらつきが強いのかを見られる。

普通、周囲を気にしながら歩くことなんて自動でやっていたはず。しかし、病み上がりの場合、片方に集中すると片方がおろそかになってしまうのだ。

あと、ずっと寝ていたので、筋力も相当落ちている、との事。よく、老人が骨折をして、寝込んでしまうと終わり、というのは、それである。老人の場合、寝たきりになると、回復するには相当の時間がかかるそうである。多分、私の場合、寝込んでいた日数から、老人並みの筋力になっているらしい。

本格的なリハビリが始まるまでに、トイレとかシャワーとか飲食とか着替えとか自立で可能かを調べられ、特に100点です、と言われたのは、床にタオルを敷いて、足の指で引き寄せることができるかどうか、というチェック。今でも私は、いつでも足も使えるように、とよくゴミを足の指に挟んで取って捨てている。その訓練が功を奏したのか、リハビリの人も笑っていた。

脳トレの方は、例えば、〇の中に文字を入れ、大きい針と小さい針を記入し、指定の時間を記入する、という問題。文字を記入した段階で、何か違和感はあった。でも、わからず、大きい針と小さい針を記入。でも違和感がずっと残っていて、他の問題をやっていた時に、気づいた。12が抜けていた。一瞬、自分でも驚き。気づいただけいい、と言われたが、ショック。小脳って運動のところだけど、こんなこと忘れる?これ、高次脳障害なの?と、ひどく落ち込む。

毎日、思いつく野菜を1分間に言えるだけ言う、とか、色がついた積み木の数をどんどん増やしていき、本と同じ図柄に並べる、積み木が増えれば増えるほど複雑になっていく、という問題やら、色々とやらされた。

今まで、テレビのクイズ番組で見てたような問題に似たようなものをやらされる。速さをみてるものと、正確さをみているもの。芳しくないと悩む。私、本当に免許と職場復帰できるんだろうか…。

リハビリも、ストレスになりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入院life4

脳梗塞にならなければ、今年は、大腸の内視鏡検査をする年だった。予約待ちなので、2ヶ月前に予約をし、その時に検査の前後1ヶ月は、コロナの予防接種はしないように言われてたから、打っていなかった。クーポンも届いていなかったし、まだ先だし、と思っていた。で、入院しなければいけない状態となり、打っていない人達の大部屋に入ったのである。しかし、容態も落ち着いてきたか、というくらいになって、私の前にいた、たねまるが、コロナの予防接種を打っていない人は、2週間したら、部屋を変わらなくてはいけないから、引越ね、と言われていたのを聞いたのだ。ちなみに、たねまるとは、その人が着ていたTシャツに、たねまるって書いてあるらしく、来る人来る人が、かわいいね、と言っていたからである。引越の話を聞き、私も移らないかんのだろうな、と思った。でも、移る時は、もう大部屋はやめてほしい、とお願いしようと思っていた。たねまるは、すぐに引越をしていった。
でも、待っていたかのように、すぐに部屋は埋まった。って言っても、ここ、老人しかいないんだけどね。施設から具合が悪くなり、送り込まれた人や、独り暮らしで介護に来てる人が救急車呼んで来た人とか、様々。本当に、高齢社会だな。
私も引越の時は、事前に教えてくれるだろう、と思ってたら、その日は突然やってきた。日曜の朝、コロナの予防接種のことを言われ、引越の話に。何時くらいですか?と聞いたら、午前中には、とのことだったが、その後、すぐ、お迎えが来て、ベッドごと移動。
新しい部屋は、窓際だったが、入って15分で、あぁ無理だ、個室にしてほしい、とお願いしよう、と思った。前の人は、自分一人で動けない様子だが、左隣の人は、どこが悪いんだろう、と思うくらい、普通に動いている。斜め前の人も、私と同時に移動になったようだが、テレビの見方がわからないらしい。カーテンを閉めたくないみたいで、開けっぱにしているので、左隣の人に、見方がわからない、と言ったら、ご親切にカードまで買いにいき、位置やらコンセントやらお世話をし始めた。更に、前の人とも、仲がいいらしく、話し始めた、状況から、ここの部屋はプライベートはないんかい!と、15分で無理と判断したのである。
看護士さんには、私達がやるので、勝手に他の人の部屋に入らないで、と注意されていたが、当然だろう。病院なんだから、今のテレビ見た?とか、部屋ですんじゃねーよ。
その夜、夕御飯を食べ終わった頃、テレビ見てたら、スッスッと音がするから、カーテンの下を見たら、裸足の足が。丁度、部屋を仕切る通路のところを裸足でこっちに歩いてくる。
この部屋で歩けるのは、私と左隣。じゃあ、裸足のお前は誰だ‼と思い、すごーく恐怖に。私の部屋にも窓はあるが、通路にもあり、どうやらその窓を開けようとしている。コワッ。
カーテン閉めたくない斜め前の人は、オジサン、どこの人?部屋間違えてるよ、と。えっ?男?と更に恐怖が加速。看護士さんが来て、連れていかれたが、あり得ん。もう、明日、絶対に、個室をお願いしよう、と思った。
毎朝、看護士さんが、血圧や体温等、はかりにくる。私は窓際だし、一番最後。左隣の人は、手術まで、まだ10日くらいあるらしいが、入院している様子。しかし、先生から、オペまで一時退院を促されているようで、看護士さんも、そうしたら、と勧めているのに、拒否。いやいや、そんな先なんだし、帰ればいいのに、と私も思うが。最後。私のところへ、看護士さんがやってきた。初めましての人である。初めましての場合、今の状況以外に、同じ質問を色々される。一通り話した後、昨日は眠れたか、聞かれた。待ってました、である。前と斜め前の大合唱のイビキに、左隣のクセが強い人、私は首をかしげた。看護士さんは、何かありそうね、と読み取ってくれ、また、話を聞きに来ます、と言ってくれた。その後、リハビリがあり、リハビリの人にも、話をし、個室に変えてほしい、と言ったら、一杯なんだと言われた。そうか…。そこへ、先程の看護士さんが、やって来て、再度、個室の話に。点滴をかえにきてくれた看護士さんは、何度か話したことがあるので、その人にも、個室の空き状況を聞き、なる早でお願いします、と懇願。そしたら、その日の夕方、空く部屋がある、夕方だけどいいか聞かれた。移れるなら、お願いします、と即答。個室に、無事引越完了。
まだ、頭痛もあったし、何で病気治すのに、ストレスためないかんのか、を考えると、環境は大事だと思う。個室に移ってから、頭痛も減り、顔色がよくなった、と言われる始末。
今までは、寝てることが多かったから我慢できたけどな。ストレスためたら、また血管が詰まってしまう。

あたりまえができるしあわせ

あたりまえが、一番しあわせ。
普通に生活をしていたら、多分、気づかないだろう。
でも、突然、あたりまえができなくなったら?

買い物がしたい。
コンビニに行きたい。
車に乗りたい。
自然を感じたい。
家族に会いたい。
したいと思う自由が、できない。

入院中、まだ入院中だけど、思ったこと。

経験してみないと、わかならいかもしれないが、想像はできるはず。
だから、私は、再発しないように、絶対に気を付ける。
病気になったのは、誰のせいでもない。
ただ、自分の不摂生な生活が、何かしら原因になっていることは、否めない。
日頃から、もっと気を付ければよかった、と後悔しかない。
自分だけは大丈夫、とか、ちょっとくらいならいいか、なんて根拠もない甘さは禁物。
甘さや過信のせいで、取り返しがつかないことになるかもしれない。
自分の身を守るのは、結局、自分しかいない。

コロナも同じだと思う。

入院life3

救急車で運ばれた時は、ものは見にくい、スマホのボタンは正確に押せない、といった状態が続いていたから、ずっと目をつむって寝ていた。トイレに行くのと、頭痛が出てくると、薬をもらって飲む時以外は寝ていた。一週間くらいだったかな、あのヒドイめまいが少しずつおさまってきた。私、もう大丈夫かも、と思って、連絡をしなきゃいけないところに電話したり、LINEやメールをしてたら、疲れてくるわ、気分が悪くなり、吐いた。
動けるから、と勝手な判断で動いたら、頭痛はするわ、吐いてしまうわ、散々な目に。まだ、不安定な状態だから、安静にと言われ、反省。
しかし、安静にしていたが、やたら、耳が発達。音や話し声をひろうようになった。
様々な人間模様、病名、カーテンでしきられていても、スタッフの大変さがすごくわかってしまう。あと、寝てるだけだから、当然、今まで夜ふかし人間だったのに、夜、目が覚めないことはない。一度、目が覚めると、なかなか眠りにつけない、ところへ、イビキが聞こえてくる。
しばらくは、無理。
隣が空いたな、と思ったら、翌日の夜、急患で老女がやってきた。めまいで運ばれたらしいんだが、一人暮らしだし、救急の担当の先生が専門じゃないから、って、念のため入院になったらしい。でも、歩けるし、大丈夫そうな様子。本人も大丈夫だと思う、と言っていた。看護士さんとしおらしく謙虚に話す老婆。問題なければ、明日、退院でもいい、と。ところが、スマホの音は鳴るわ、何で今来たばかりなのに、ビニールの音がガサガサしてる?鞄の中に何が入ってる?みたいな音がしばらく続き、やっと寝たか、と思いきや、あれ?人が変わったかのような声のイビキが始まった。ワイルドにそして、何人かいます?って感じのイビキ。ますます寝れない。
点滴を交換しに来た看護士さんが、寝れないの?と。私は、指を指すと、ここに今来てビックリした、別の部屋に変わるか聞かれたが、そんなご足労なこと大丈夫です、と断ったら、多分、明日、退院されると思う、と言われ、知ってますって感じだったけど、ジワジワ、大部屋の苦痛が…。でも、私が希望して大部屋になったわけじゃなく、来た当初はずっと寝てたし、今もだけど、音以外で支障はなかった。私以外は、皆、オムツだし。
運ばれた時から、オムツはしてない。やっぱ、それは無理。壁をったって、何とか自力で、トイレに行ってた。看護士さんにポータルトイレを念のため置いていく、と言われたけど、それも未使用。人に下の世話をしていただかなくて、よかったです。